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志村けんの若い頃画像まとめ!イケメンで家系が凄かった?

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日本の宝【志村けん】さん。

そんな志村けんさんの若い頃がイケメンすぎると今話題になっているんです。

今回は志村けんさんのイケメンヒストリーで子供の頃からの画像をまとめてみました。

志村けんの若い頃画像まとめ!イケメンで家系が凄かった?

ご覧ください。

志村けんの若い頃イケメンヒストリー

幼少期が天使すぎる

1950年(昭和25年)年に志村けんさんは誕生します。

本名は志村康徳(しむら やすのり)さんとおっしゃいます。

『康徳』という名前の由来は「徳川家康のように立派な人間になってほしい」というご両親の願いが込められていたようです。

とっても素敵ないい名前ですね。

また、兄弟は男3兄弟で志村けんさんは末っ子です。

3つ上に長男の智之さん、2つ上に次男美佐男さんがいて、年子で3人生まれたんですね。

私も男3兄弟ですけど、年子3人って想像を絶する凄さでお母さんを尊敬します。

志村けんさんのお父さんは学校の教師をされていたのでとても厳格な人で家でお父さんの笑った姿を見たことがないというぐらいだったようですが、お母さんの「和子」さんは真逆なタイプでとってもお茶目な面白い方だったそうです。

また、兄弟は仲がよくて外で遊ぶことが多かったそうです。

いつも志村けんさんは、ラジオの番組がはじまると時計もないのに時間ぴったりにスーッといなくなったといいます。

落語や漫談が大好きでよく聞いていたといい、まだこの頃はお笑いには目覚めていなかったものの、お笑いが大好きな子供だったのでしょうね。

さらに、両親がどんなに忙しくても泣き言を言わず、いつも笑顔の絶えない子だったそうです。

志村けんさんのギャグセンスの高さはお母さんの和子さんの遺伝なのかもしれません

それにしても、幼少期の志村けんさんが天使すぎなのにはびっくりしました。

この時から志村けんさんの笑顔は周りの皆を明るい気持ちにさせてくれたのでしょうね。

志村けんさんの笑顔を見るとこっちも笑顔になってしまいますもんね。

高校生がイケメン

めちゃくちゃイケメン!結構タイプ(笑)

高校時代の志村けんさんはとくかく音楽に夢中だったそうです。

とにくハマっていたのはビートルズでした。

ジョージ・ハリソンに憧れてヘアスタイルまでビートルズカットにしていたぐらいですからね。

そんな志村けんさんは、高校2年生の時に友人が当てたビートルズの日本公演のコンサートチケットをビートルズが大好きという理由で譲ってもらったことがあったそうです。

このことだけでもとても凄いことなんですが、なんと後に志村けんさんが加入する『ザ・ドリフターズ』が、武道館でのビートルズのコンサートの前日に前座をしていたというニアミスですが運命的な出会いを果たしていたのです。

そうして、高校3年生の時についに志村けんさんは行動をうつします。

「自分の力で人を笑わせたい」

「由利徹さん」や「コント55号」と「ザ・ドリフターズ」のいずれかに弟子入りしようと決めていた志村けんさんは悩んだ結果、音楽性の面からドリフターズを選ぶことに。

そこで志村けんさんは、卒業式直前にドリフターズメンバーでリーダーのいかりや長介さんの自宅に張り込み直談判を試みたのです。

しかし、いかりや長介さんはちょうど留守。

そのうちに雪が降ってきたのですが、ここで帰るわけにはいかないと待つこと12時間、いかりや長介さんに会えて志村けんさんの熱い想いを伝えることが出来たそうです。

そうして、いかりや長介さんに会った一週間後に「すぐに後楽園ホールへ来い」と連絡があり志村けんさんはいかりや長介さんの付き人になることに。

ちなみに後日談として、後楽園ホールでいかりや長介さんから正式に採用が決まった志村けんさんが、「じゃあ高校卒業したら来ます!」と答えると、「バーカ、明日から行くんだよ、青森に!」と言われ、翌日から超多忙な日々を送ることになったそうです。

下積み時代

1969年(昭和44年)に8時だヨ!全員集合が放送開始されると、志村けんさんは一番年下の見習いとしての修行が始まりました。

志村けんさんの芸名はお父さんの憲司さんの「けん」をとって志村けんにしました。

月給は5千円

当時は空腹を満たすためにメンバー5人が残したラーメンをかき集めて食べていたそうです。

また、地方での仕事の寝台列車の中で楽器の見張り役を任されていたといいます。

楽器が18個列車の入り口に積んであって、止まる駅でチェックしろと命じられていたそうです。

大事な楽器ですから盗まれでもしたら大変ですからね。

それにしても一睡もしないで見張れということでしょうから結構過酷な使命ですね。

その時志村けんさんは列車のガラスに「今に見てろ」と指でかいて悔しさを押し殺し必死に下積み生活に耐えてきたのです。

いつも元気で陽気な志村けんのイメージをガラリと変えるエピソードですね。

ドリフターズ加入後の悲報

ザ・ドリフターズの中心人物であった荒井注さんが体力の衰えでドリフターズを脱退したことで志村けんさんに転機が訪れます。

いかりや長介さんが荒井注さんの後継人に志村けんさんを指名したのです。

そうして昭和49年の24歳の時に、志村けんさんは正式にザ・ドリフターズのメンバーに加入します。

24歳の時でした。

しかし、最初は誰にも歓迎されずにブーイングがおき志村けんさんが登場するとそれまでおきていた笑いがピタリとやんだといいます。

お前は荒井注じゃない
セットを走り回るだけの新人
おもしろくない

それまでの荒井注さんの影響力がカリスマ的すぎて視聴者は荒井注さんの姿を重ねてみますから志村けんさんの笑いを定着させるのにかなり悩んで苦労もしたそうですね。

当時はもがけばもがくほど深みにはまっていったそうです。

しかし、志村けんさんはやっぱり凄い人なんです。

いつでもどこでも常に勉強をしていて、とにかく人間観察が素晴らしかったようですよ。

そして、その人間観察こそが今後の志村けんさんが演じるキャラクターに生かされているのですから本当に凄い人だったと思います。

ブレイクそして日本の宝へ!

昭和38年に農協が制作した「東村山音頭」という東村山でしか知られていないご当地音頭で一躍ブレイクした志村けんさん。

それでは、志村けんさんが歌う『東村山音頭』をお聞きください。

東村山音頭は志村けんさんがコミカルに歌い踊ることで、学校帰りの小学生が口ずさむなど子供から絶大な人気を得ました。

そうして志村けんさんは視聴者の心をグッとつかむことに成功して、日本屈指のコメディアンとなったのです。

志村けんさんは日本の宝と言われていますが、本当にその通りですね。

誰にも真似できない、志村けんさんだから面白いというコントをたくさん残してくれました。

俳優デビュー

また、俳優としても映画出演していたことがある志村けんさん。

1999年に高倉健さんが主演された鉄道員(ぽっぽや)に吉岡肇役で出演しています。

他にも声優に挑戦したりと活動の幅を広げていました。

また、朝ドラの【エール】に出演予定が決まっていましたし、他にも山田洋次監督作の「キネマの神様」にも出演予定で70歳にして色々な役に挑戦する準備をしていた矢先の訃報に本当に悔しい気持ちでいっぱいです。

もうバカ殿様が見られないのかと思うと本当に寂しい悲しいですね。

志村けんのここが凄い!

ヒゲダンス

一度は聞いたことがあると思います。

あのテンポのいいリズムと個性的なダンスで歩き回るヒゲダンスは当時よく真似しました。

天才的かつ芸術的としかいいようがありません。

しかも、しかも、あの音楽も志村けんが見つけた音源で、テディ・ペンダーグラスの「Do Me」という曲をたかしまあきひこ氏がアレンジしたものなんです。

当時はレコードを購入前に視聴するなんてことはできませんから、ジャケットを見て決めるしかなかったんですね。

そうして買ったレコードの中にたまたまこの曲が入っていたんですって。

これって運命ですよね。

志村けんさんはこの時の気持ちを本当に嬉しかった話されていました。

最初は『グー』

志村さんの訃報に、日本じゃんけん協会は公式ツイッターに「日本でこれほどじゃんけんが広まったのは、志村さんが考案した『最初はグー』があったからに他なりません。何よりたくさんの笑いをありがとうございました」となどとの追悼コメントをつづった。

今でもじゃんけんする時にタイミングを合わせる掛け声として使われる『最初はグー』。

なんと志村けんさんが最初に始めたって知っていましたか?

実は飲み屋での仲間とのやりとりを、志村けんさんが「8時だョ!全員集合」で、ドリフターズメンバーの仲本工事さんとのコント「ジャンケン決闘」で「最初はグー!じゃんけんポン!」と言っていたのが、いつしかお茶の間にも普及していったようです。

最初はグーの掛け声は今後引き継がれる掛け声となるでしょうから、ますます志村けんさんって凄い人ですよね。

志村けんのルーツは武士?

志村けんさんのルーツは武士だと言われています。

NHKで2018年5月28日に放送した「ファミリーヒストリー」という番組で、志村けんさんの家族を特集していた時のことです。

志村家のルーツをめぐっていると、戦国武将に志村性を名乗る武将が多い事が判明したのです。

最も縁が深いとかんがえられるのは、志村又左衛門(しむらまたざえもん)という人物でした。

志村又左衛門は長篠の戦いで武田軍につき、戦士した山縣昌景(4天皇と呼ばれる人物)の首を敵が持ち帰ろうとしたのを奪い返した武将です。

その後武田家は滅亡しますが、後に志村又左衛門は徳川に忠誠を誓う誓約書のようなものをかかされ、徳川でも重要な任務についていたという事です。

また、徳川と対立していた北条に仕えていた「志村」という武士は甲斐から小田原、立川にも移住していたことが分かっていているんです。

なのでこちらの「志村」である可能性もあるとか…。

それらの事から志村けんさんのルーツはやっぱり武士である可能性が高いようです。

志村けんプロフィール

志村けん,若い頃画像,イケメン引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/
  • 氏名:志村けん
  • 本名:志村康徳(しむら やすのり)
  • ニックネーム: けんちゃん、しむけん
  • 生年月日:1950年2月20日
  • 没年月日: 2020年3月29日(70歳没)
  • 出身地: 東京都東村山市
  • 血液型:A型
  • 身長:166㎝
  • 最終学歴: 東京都立久留米高等学校(現・東京都立東久留米総合高等学校)
  • 師匠: いかりや長介・加藤茶(二度目の付き人時代)
  • コンビ名: マックボンボン(解散)・カトケン(正式なコンビではない)
  • グループ名: ザ・ドリフターズ
  • 相方: いかりや長介・高木ブー・仲本工事・加藤茶
  • 芸風: コント・喜劇
  • 立ち位置: 左端(ザ・ドリフターズ)
  • 事務所: イザワオフィス
  • 活動時期 :1972年 – 2020年
  • 同期 :ビートたけし・笑福亭鶴瓶 など
  • 弟子: 上島竜兵・山崎まさや・乾き亭げそ太郎・大悟

志村けんの若い頃画像まとめ!イケメンで家系が凄かった?まとめ

志村けんの若い頃画像まとめ!イケメンで家系が凄かった?

最後までご覧いただきありがとうございました。

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