日本の宝と言われる【志村けん】さんの若い頃がイケメンすぎるんです。
今回は志村けんさんのイケメンヒストリーということで子供の頃からの画像をまとめてみました。
また、志村けんさんを掘り下げていくと凄い家系に生まれていることが判明したのでおご紹介いたします。
志村けんの若い頃画像まとめ!イケメン過ぎるし家系も凄かった!是非ご覧ください。
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志村けんの若い頃がイケメンすぎる画像まとめ!
幼少期が天使すぎる
志村けんさんの小さい頃が可愛いすぎて天使じゃんね! pic.twitter.com/I7ixSDsNPS
— 松ぼっくり (@matubo5421) March 31, 2020
1950年(昭和25年)年に東村山市に誕生した志村けんさん。
本名は志村康徳(しむら やすのり)さんとおっしゃいます。
『康徳』というお名前の由来は「徳川家康のように立派な人間になってほしい」というご両親の願いが込められていたようです。
とっても素敵な名前ですし、ご両親の願いがかなって誰からも愛され尊敬される素晴らしい方ですよね。
志村けんの兄弟は?
ご兄弟は男3兄弟で志村けんさんは一番下の末っ子です。
3つ上に長男の智之さん、2つ上に次男美佐男さんがいて、年子で3人生まれたんですね。
兄弟は仲がよくて外で遊ぶことが多かったそうです。
志村けんさんは落語や漫談が大好きでよくラジオで聞いていたそうで、兄弟で遊んでいてもラジオ番組がはじまる時間になると時計もないのに時間ぴったりにスーッといなくなったといいます。
まだこの頃はお笑いには目覚めていなかったものの、お笑いが大好きな子供だったのでしょうね。
末っ子らしい甘えん坊タイプでなくったくのない笑顔がチャームポイントの志村けんさん。
見ているだけで元気が出ますね。
志村けんの父親は?
志村けんさんのお父さんは学校の教師をされていたので、とても厳格な人だったそうです。
志村憲司(けんじ)さんとおっしゃい、のちの志村けんさんの芸名である『けん』はお父さんの名前が由来となっています。
お父さんの笑った姿を見たことがないという志村さんですが、お笑い番組を見ている時だけはお父さんに笑顔があったといい、お父さんを笑顔にできるお笑いって凄いとお笑いに興味をもつきっかけともなっています。
また、お母さんの「和子」さんは真逆なタイプでとってもお茶目な面白い方だったそうです。
志村けんさんのギャグセンスの高さはお母さんの和子さんの影響が大きいのでしょう。
さらに、両親がどんなに忙しくても泣き言を言わず、いつも笑顔の絶えない子だったそうです。
末っ子らしい甘えん坊タイプで、なくったくのない笑顔がチャームポイントの志村けんさんは周りの皆を明るい気持ちにさせてくれたのでしょうね。
志村けんさんの笑顔を見るとこっちも笑顔になってしまいますもんね。
高校生時代がイケメンすぎる!
高校生時代の志村けん(・・;) pic.twitter.com/IlMhraBAnj
— きのぽん (@kinoshitter) March 31, 2020
高校生になるとイケメン好青年へと成長した志村けんさん。
高校時代の志村けんさんはお笑の他に音楽にも夢中だったそうです。
中でも特にハマっていたのはビートルズでジョージ・ハリソンに憧れてヘアスタイルまでビートルズカットにしていたぐらいのハマりようだったようです。
そして志村けんさんは、高校2年生の時に友人が当てたビートルズの日本公演のコンサートチケットをビートルズが大好きという理由で譲ってもらったことがあったそうです。
このことだけでもとても凄いことなんですが、なんと後に志村けんさんが加入する『ザ・ドリフターズ』が、武道館でのビートルズのコンサートの前日に前座をしていたというニアミスですが運命的な出会いを果たしていたのです。
そうして、高校3年生の時についに志村けんさんは行動をうつします。
「自分の力で人を笑わせたい」
「由利徹さん」や「コント55号」と「ザ・ドリフターズ」のいずれかに弟子入りしようと決めていた志村けんさんは悩んだ結果、音楽性の面からドリフターズを選ぶことに。
そこで志村けんさんは、卒業式直前にドリフターズメンバーでリーダーのいかりや長介さんの自宅に張り込み直談判を試み、留守だったいかりや長介さんが帰ってくるのをまつこと12時間。
雪がふってきて寒い中ひたすら待っていた志村けんはお笑いに対する熱い想いをいかりや長介さんに伝えることができたのです。
志村けんの下積み時代は?
金スマ見てるけど、志村けんは、昔から、好きなんだった事に気付いたわ。志村けんも、下積み時代があったんだね😢😢 pic.twitter.com/k9x9JkB3Mz
— 怪獣みのごん (@Km2Withs) April 5, 2019
いかりや長介さんに想いを伝えた一週間後に「すぐに後楽園ホールへ来い」と連絡があり、志村けんさんはいかりや長介さんの付き人となりました。
1969年(昭和44年)に「8時だヨ!全員集合」が放送開始されると、志村けんさんは一番年下の見習いとしての修行が始まります。
当時のお給料は『5千円』で空腹を満たすためにメンバー5人が残したラーメンを一番下っ端の志村けんさんがかき集めて食べていたそうです。
ある時は、地方での仕事の寝台列車の中で楽器の見張り役を任されていたといいます。
楽器が18個列車の入り口に積んであって、止まる駅でチェックしろと命じられていたそうです。
大事な楽器ですから盗まれでもしたら大変ですからね。
付き人なので仕方ないのかもしれませんが、一睡もしないで見張れということでしょうから結構過酷な任務ですね。
しかし、志村けんさんは逃げ出さず列車のガラスに「今に見てろ」と指でかいて悔しさを押し殺し必死に下積み生活を耐えたそうです。
厳しい芸能界、しかも移り変わりが激しいお笑いの世界で生き残るにはこれ以上の覚悟が必要といかりや長介さんの想いも感じられます。
いつも元気で陽気な志村けんのイメージをガラリと変えるエピソードですね。
ドリフターズ加入後の悲報
志村けんって若い頃めっちゃイケメンだったんだ😳 pic.twitter.com/1N5AUNS83R
— たっく (@tak_820) July 27, 2019
ザ・ドリフターズの中心人物であった荒井注さんが体力の衰えでドリフターズを脱退したことで、いかりや長介さんが荒井注さんの後継人にと志村けんさんを指名しました。
そうして昭和49年h志村けんさんが24歳の時に、ザ・ドリフターズのメンバーとして正式に加入します。
ですが、大人気だった荒井注さんの代わりですから、最初からお茶の間に受け入れられたわけではなかったようです。
誰にも歓迎されずに志村けんさんが登場するとブーイングがおき、それまでおきていた笑いがピタリとやんだといいます。
これ結構ショックですね。
それまでの荒井注さんの影響力がカリスマ的すぎて視聴者は荒井注さんの姿を重ねてみますから志村けんさんの笑いを定着させるのにかなり悩んで苦労もしたそうですね。
当時はもがけばもがくほど深みにはまっていったそうです。
しかし、志村けんさんはやっぱり凄い人なんです。
いつでもどこでも常に勉強をしていて、とにかく人間観察が素晴らしかったようですよ。
そして、その人間観察こそが今後の志村けんさんが演じるキャラクターに生かされているのですから本当に凄い人だったと思います。
ブレイクそして日本の宝へ!
最近では、バカ殿・ひとみちゃん・変なおじさんとかが多かったですが
若い頃からイケメンで格好良く素敵なコメディアンでした。
もう二度とけんさんが考える新しいコントが見られないのは寂しいです😭
今まで本当にありがとうございました。#志村けん pic.twitter.com/uiIEVDOkq0— でん⊿⁴⁶ (@Prophet_1111) March 30, 2020
昭和38年に農協が制作した「東村山音頭」という東村山でしか知られていないご当地音頭で一躍ブレイクした志村けんさん。
それでは、志村けんさんが歌う『東村山音頭』をお聞きください。
志村けん追悼ソング
「東村山音頭」
歌上手いなー!
さー皆んなで
「いっちょめいっちょめ
わーォ!!」 pic.twitter.com/2aB20okKtO— うつぺんぎん (@hasegawa_ra) March 30, 2020
東村山音頭は志村けんさんがコミカルに歌い踊ることで、学校帰りの小学生が口ずさむなど子供から絶大な人気を得ました。
志村けん御大が亡くなりました。ドリフよりも『だいじょぶだぁ』『カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ』『バカ殿』の世代だったのでドンピシャでお世話になりました。長い間笑いを届けてくれてありがとうございました。安らかに眠って下さい。本当に残念でなりません。未だに信じられません。 pic.twitter.com/KyAI6ufCak
— 山本 雅(もっさん) (@spidey1014) March 30, 2020
そうして志村けんさんは視聴者の心をグッとつかむことに成功して、日本屈指のコメディアンとなったのです。
志村けんさんは日本の宝と言われていますが、本当にその通りですね。
誰にも真似できない、志村けんさんだから面白いというコントをたくさん残してくれました。
再放送の8時だよ全員集合
カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ
ドリフ大爆笑
だいじょぶだぁ
バカ殿物心ついた頃から志村けんさんのお笑いを見てきたから、旅立ってしまったのが未だに信じられずにいる。
ご冥福をお祈りします。#志村けん pic.twitter.com/sUZZlRRzdm
— ACE a.k.i hrpk&doL (@ACEMEGANE) March 30, 2020
俳優デビュー
また、俳優としても映画出演していたことがある志村けんさん。
1999年に高倉健さんが主演された鉄道員(ぽっぽや)に吉岡肇役で出演しています。
他にも声優に挑戦したりと活動の幅を広げていました。
また、朝ドラの【エール】に出演予定が決まっていましたし、他にも山田洋次監督作の「キネマの神様」にも出演予定で70歳にして色々な役に挑戦する準備をしていた矢先の訃報に本当に悔しい気持ちでいっぱいです。
もうバカ殿様が見られないのかと思うと本当に寂しい悲しいですね。
今夜7時~『志村けんさん追悼特別番組 46年間笑いをありがとう』を生放送でお届けします。
国民的コメディアン #志村けん さんの爆笑コントを一挙放送。ドリフ大爆笑、だいじょうぶだぁ、バカ殿様までお茶の間に笑いを届けた名作をゲストとともに振り返りますhttps://t.co/gKpGuYbTLU#fujitv pic.twitter.com/gImTRJunDA
— フジテレビ (@fujitv) March 31, 2020
志村けんのここが凄い!
ヒゲダンス
一度は聞いたことがあると思います。
あのテンポのいいリズムと個性的なダンスで歩き回るヒゲダンスは当時よく真似しました。
天才的かつ芸術的としかいいようがありません。
しかも、しかも、あの音楽も志村けんが見つけた音源で、テディ・ペンダーグラスの「Do Me」という曲をたかしまあきひこ氏がアレンジしたものなんです。
当時はレコードを購入前に視聴するなんてことはできませんから、ジャケットを見て決めるしかなかったんですね。
そうして買ったレコードの中にたまたまこの曲が入っていたんですって。
これって運命ですよね。
志村けんさんはこの時の気持ちを本当に嬉しかった話されていました。
今の時代、キャッチーなダンスが人気を集めてるけど、「ヒゲダンス」を超えるキャッチーなダンスは今後も現れないと思う!#志村けん pic.twitter.com/mMdjNLD2qW
— 🔥HEAT🔥 (@heat_14) March 30, 2020
最初は『グー』の生みの親
志村さんの訃報に、日本じゃんけん協会は公式ツイッターに「日本でこれほどじゃんけんが広まったのは、志村さんが考案した『最初はグー』があったからに他なりません。何よりたくさんの笑いをありがとうございました」となどとの追悼コメントをつづった。
今でもじゃんけんする時にタイミングを合わせる掛け声として使われる『最初はグー』。
なんと志村けんさんが最初に始めたって知っていましたか?
実は飲み屋での仲間とのやりとりを、志村けんさんが「8時だョ!全員集合」で、ドリフターズメンバーの仲本工事さんとのコント「ジャンケン決闘」で「最初はグー!じゃんけんポン!」と言っていたのが、いつしかお茶の間にも普及していったようです。
最初はグーの掛け声は今後引き継がれる掛け声となるでしょうから、ますます志村けんさんって凄い人ですよね。
このコントから世に広まり全世代の誰もが使うようになった『最初はグー』
ドリフの影響力はやっぱり凄かった。#志村けん #ドリフターズ #コント pic.twitter.com/PvaR5dJjfJ— 映【Hayuru】 (@Hayuru1509) March 30, 2020
志村けんの先祖が武士?
志村けんさんのルーツは武士だと言われています。
NHKで2018年5月28日に放送した「ファミリーヒストリー」という番組で、志村けんさんの家族を特集していた時のことです。
志村家のルーツをめぐっていると、戦国武将に志村性を名乗る武将が多い事が判明したのです。
最も縁が深いとかんがえられるのは、志村又左衛門(しむらまたざえもん)という人物でした。
志村又左衛門は長篠の戦いで武田軍につき、戦士した山縣昌景(4天皇と呼ばれる人物)の首を敵が持ち帰ろうとしたのを奪い返した武将です。
その後武田家は滅亡しますが、後に志村又左衛門は徳川に忠誠を誓う誓約書のようなものをかかされ、徳川でも重要な任務についていたという事です。
また、徳川と対立していた北条に仕えていた「志村」という武士は甲斐から小田原、立川にも移住していたことが分かっていているんです。
なのでこちらの「志村」である可能性もあるとか…。
それらの事から志村けんさんのルーツはやっぱり武士である可能性が高いようです。
志村けんプロフィール

- 氏名:志村けん
- 本名:志村康徳(しむら やすのり)
- ニックネーム: けんちゃん、しむけん
- 生年月日:1950年2月20日
- 没年月日: 2020年3月29日(70歳没)
- 出身地: 東京都東村山市
- 血液型:A型
- 身長:166㎝
- 最終学歴: 東京都立久留米高等学校(現・東京都立東久留米総合高等学校)
- 師匠: いかりや長介・加藤茶(二度目の付き人時代)
- コンビ名: マックボンボン(解散)・カトケン(正式なコンビではない)
- グループ名: ザ・ドリフターズ
- 相方: いかりや長介・高木ブー・仲本工事・加藤茶
- 芸風: コント・喜劇
- 立ち位置: 左端(ザ・ドリフターズ)
- 事務所: イザワオフィス
- 活動時期 :1972年 – 2020年
- 同期 :ビートたけし・笑福亭鶴瓶 など
- 弟子: 上島竜兵・山崎まさや・乾き亭げそ太郎・大悟
志村けんの若い頃画像まとめ!イケメンで家系が凄かった?まとめ
志村けんの若い頃画像まとめ!イケメンで家系が凄かった?
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